2011年7月31日日曜日

「漢の花園」Vol.14文月

みなさま、暑中お見舞い申し上げます!と書きたいところなれど、東京は連日の曇り空。比較的涼しい日が続いております。しかし、今年は節電の夏でありまして、曇天もむしろウエルカムであります。その一方、日本学園の森では、曇天何するものぞ!と言わんばかりに夏の草花が咲き乱れ、日校名物、蝉時雨もいよいよ気合が入って参りました。その喧噪に交ってグラウンドから聞こえてくるのは、運動部員たちの元気な声。森は夏を謳歌する命の詩に満ちあふれていました。


ユリ(百合:ユリ科) 
日本学園に夏到来を告げる使者、それがユリであります。清廉な純白、ビロードのごとき臙脂、野性味あふれるオレンジなど、学園のユリは色も姿も多彩。その全ては営繕課のみなさんが丹精込めて育てたもの。森の木漏れ日を浴びて、校内の随所に咲き誇っております。写真のユリは黄金色とでも申しましょうか、おそらく今年のNewモードであります。夏の訪れを八方に知らせる進軍ラッパのごとき花の姿にもご注目。見ているだけで花が奏でる夏の歌を聞くような思いがいたします。

正体不明の花&ナミアゲハ蝶
漢の花園で撮影した花の中には、種類を特定できないものもございます。この花もそのひとつ。蝶がとまったからこそ見つけられたピンクの可愛い花。名前をご存じの方は、コメント欄にてご教示いただければ幸いです。その一方、学園の森は蝶の宝庫でもあります。特にこの時期は、ナミアゲハ、クロアゲハ、カラスアゲハ、キアゲハ、アオスジアゲハなどが乱舞するバタフライたちの楽園と化しております。ただ蝶の動きは速くてねぇ・・・ご覧のようにマトモな写真が撮れないのであります。

トマト(赤茄子:ナス科)
理科教室棟前の菜園を覗いてみますと夏野菜の代表選手、トマトが色づいていました。「ミニトマト」と思われます。菜園が活気づくのも日本学園の夏の風物詩。トウモロコシやヘチマも花をつけていました。実は先日、営繕課の野口さんのお計らいで、学園産のビワとクワの実を試食してみました。いや~もう、旨いなんの!ビワは小ぶりですが甘さは一級品、クワでは野性的な甘酸っぱさを堪能いたしました。味わっても楽しい大都会の自然。それが日本学園の森であります。

アベリア(スイカズラ科)
花が少ない酷暑の季節にも次々と花を咲かせることから、公園や生け垣によく植えられています。日本学園では体育館やグラウンドの土手、写真の校庭周辺でも見ることができます。このアベリア、花は地味ですが、実は蜂や蝶たちにとっては夏の貴重な食卓。猛暑で花も萎える日、アベリアは彼らに豊富な蜜を提供してくれるそうです。そういえば撮影中にもマルハナバチがブンブン飛び交っておりました。様々な命が共生する姿を見せてくれる、それも日本学園の森であります。

広報部会 S56卒 永澤

2011年7月29日金曜日

倶進Vol.8

「私の山歩き」No.1

尾瀬・アヤメ平

S28卒 米田利民

その昔、東電は尾瀬にダムを作り、水力発電をしようと思い、広大なる土地を取得しました。しかし自然破壊に反対・貴重な尾瀬の自然を守ろうという運動に負けてダムは断念しました。その後、東電は尾瀬の自然保護のため献身的な活動をしています。ここでは「東電さま、さま」です。

7月14日・15日に尾瀬のアヤメ平へ行って来ました。尾瀬には何回も行き、燧ヶ岳と至仏山にもそれぞれ2-3回登りましたが、アヤメ平は初めて。「アヤメ平」とは「キンコウカ」の葉をアヤメの葉と間違え命名してしまったという有名な話があります。今回、キンコウカは1週間ほど早かったがワタスゲがきれいでした。14日の夜は竜宮小屋に泊まり、15日に東電小屋から山の鼻までの間のニッコウキスゲを満喫しました。最後に「尾瀬植物研究見本園」を1時間ほど廻り、カキツバタの満開を楽しみました。

アヤメ平にキンコウカ(黄色の花)が一面に咲く様子を「雲の上の楽園」と称し、大勢の入山者が昭和30年代に押し寄せ、勝手に湿原の中に入り、ビニールシートを敷いて食事をしたりしたため、湿原は踏み荒らされ裸地化されて復旧は不可能ではないかと心配されました。昭和44年より東京電力が中心になり復元の努力を始めました。ミタケスゲなどの種を蒔いたりして湿原を回復するための作業を行っています。まだ元には戻っていませんが、だいぶよくなったのではないでしょうか。


尾瀬は湿原・植物を保護するため人が歩くための木道が至るところに敷いてあります。
主に東京電力が設置したものでtepco logo H22 のように焼印で設置した年が記入されています。

 
横田田代 白いのはワタスゲの果穂。

アヤメ平にアヤメも咲いていました(本当はアヤメでなく
カキツバタ)白いのはワタスゲ、遠くに見えるのは至仏山。

竜宮小屋とニッコウキスゲ。


尾瀬ヶ原のキンコウカ(と木道)。

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2011年7月26日火曜日

横山大観も認めた菱田春草。「春草君が生きていたら俺なんかよりずっと巧い」

日本学園の大先輩である日本画家、菱田春草(本名:三男治みおじ)。平成二十一年開催の明治神宮文化館宝物展示室での「菱田春草」展に続き、春草の初期から晩年に至る作品全てが見られる没後100年菱田春草展」が出身地の長野で開催中です。さらに9月からも同じ長野で開催されます。

菱田春草(1874~1911)は横山大観(1868~1958)と共に日本学園の前身「東京英語学校」の出身で、新時代にふさわしい絵画の創造に生涯を賭け、近代日本画壇に不滅の足跡を残した偉大な日本画家です。春草は「東京英語学校」で学んだ後、東京美術学校(現東京藝術大学)に大観の1年後輩で入学、岡倉天心、橋本雅邦らに学んでいます。
当時、日本は西洋化と近代化を推進した時代で、画壇でも日本画に西洋の技法を取り入れて、近代化を試みようとする人達が現れました。その先駆者であり代表者となったのが春草であり大観でした。春草は2期生、大観は1期生として東京美術学校に入学後、2代校長の岡倉天心から「西洋画に見られるような空気を描く方法はないだろうか」と言われ、共に西洋画の画法を取り入れた新たな画風の研究を重ね、やがて線描を大胆に抑えた没線描法、「当時批判を込めて朦朧(もうろう)体と言われていた」という独自の表現技法の絵画を次々に発表していきました。二人は新しい日本画はこれ以外の描法はないとの強い信念で創作活動に打ち込んでいきます。

しかし世間からはその実験的で先進的な画風に猛烈な批判を浴びました。保守的風潮の強い日本の画壇でも活動が行き詰まりを見せはじめたため、春草と大観は共にボストン美術館中国・日本美術部長に就任していた恩師岡倉天心を頼って渡米し、米国と欧州各地で次々と展覧会を開き、高い評価を受けることになります。二人は「東京英語学校」で学んだ英語がそのときの海外生活で大いに役に立つことになります。この欧米での高評価を受けて日本国内でもやっと革新的な画風が評価され始め、その後大観は日本画壇の重鎮として確固たる地位を築いていき第1回文化勲章を受章することになります。

「東京英語学校」、東京美術学校と2つ同じ校門をくぐり共に刺激しあって青年時代を過ごした二人は無二の親友、生涯の友、盟友であり、お互いを敬愛しつつ、日本画の発展に向けて全生涯を傾けていった二人です。しかし春草は志半ば惜しくも満37歳の誕生日を目前にして夭折してしまいます。そのとき大観は大いに悲しみ嘆いたと言いわれています。6歳年下でありながら春草を師のように思い続け、尊敬していたという大観が、晩年に至るまで、自らが日本画の巨匠と称されるたびに「春草君が生きていたら俺なんかよりずっと巧い」と口にしていたというエピソードが残っているくらい、いかに春草が天才的な才能を持っていたかがうかがわれます。手元に美術年鑑という日本の画壇で活躍した画家を集大成した分厚い本があります。日本画のページを見ますと大観は昭和時代のトップページに、春草も明治時代のトップページに出ておりますが、春草は明治の中でも最初の位置に出ており最も高い評価を得ていることがわかります。この二人がいまも日本画に大きな影響力をもっていることがお分かりいただけると思います。
これから長野方面に行かれる機会があります方は日本学園の大先輩である天才の日本画家、菱田春草の展覧会をぜひご覧いただければと思います。

菱田春草の詳しい展覧会の内容については下記をご覧ください。
●「没後100年菱田春草展」7月2日~7月31日まで開催 
詳しくは長野の水野美術館まで http://w2.avis.ne.jp/~nihonga/index.html

●その後、長野県信濃美術館でも「没後100年菱田春草展─新たなる日本画への挑戦」開催
9月10日~10月16日まで。詳しくは http://www.npsam.com/exhibition/2011/03/1593.php 

青年時代の菱田春草 

代表作のひとつ「黒き猫」 
美術年鑑より(菱田春草) 

美術年鑑より(横山大観)

広報部会 S44卒 中村 

2011年7月23日土曜日

我流展景-日校Photoスケッチ(7月-1)

学園に夏きたる


朝の森で中学生は美術の時間


木漏れ日を背中に受けて・・・ 

みんな上手く描けたかな・・・By校祖 

広報部会 S56卒 永澤

2011年7月22日金曜日

倶進Vol.7

通学電車の思い出

S37年卒 風間

私の高校時代(昭34~37年)には京王線にまだこんな小型電車が活躍していました。卒業した翌年昭和38年の京王線の電圧昇圧化でこの小型電車も全て本線から消えてしまいました。
毎朝こんな小型電車にすし詰めにされて通学したOBも多かったことでしょう。この時代の朝の殺人ラッシュは今では考えられないもの凄いものでした。高度成長期に突入し、懐かしき東京が消えていった時代だったのかも知れません。あれから49年、京王線も駅も様変わりしたものです。


昭和38年廃止直前の小型電車5両編成。下高井戸駅 昭38年4月


京王線新宿地上駅の小型電車。これが新宿駅 !
駅を出た電車は新宿南口の甲州街道上を走っていた。 昭38年3月

2011年7月18日月曜日

母校歴史探訪 半蔵門外にあった日本中学校は、正確にはどこにあったのだろうか

●古地図が静かなブームだそうです。日本学園の前身である「東京英語学校」は神田の大火の類焼により、明治25年四谷の半蔵門外の麹町山元町に校舎を再建し「日本中学校」と改称して再出発したことはOBの皆さんの良く知るところであります。さてその半蔵門外の麹町山元町とは、いったい半蔵門のどこあたりにあったのでしょうか。興味あるところです。そして「日本中学校」の正確な場所はどこにあったのでしょうか。

●そこで古地図の出番と相成ります。いろいろあちこちと調べて見ますと麹町山元町という地名はなく山本町が正しい地名であることがわかりました。その山本町一丁目3番地になんと「日本中学校」がありました。下の地図をご覧ください。これは明治40年の地図でして、はっきりと「日本中学校」の文字が出ております。

●驚くなかれ、ここは現在では皆さんよくご存知のエフエム東京(TOKYO FMがステーションネーム。略称はTFM)というFM放送局があるビルのある場所になります。なお当時は北側は電燈会社、麹町区役所、警察署、英国公使館などがあり、南側は広大な土地に東京衛戌病院、陸軍省、近衛師団、参謀本部、海軍省、内閣総理大臣官舎などが続いております。学校関係では華族女学校、第一中学、日比谷中学校、海城学校などもありました。皇居を囲み日本の中枢が集まっていた地域なのです。なおこの地図は明治40年に東京郵便局、東京逓信管理局によって編纂された「東京市十五区番地界入地図」に基づいて作成された地図で、一般的に「郵便地図」「逓信地図」と呼ばれておるもののようです。(ブログにこの地図を載せることに関しては、著作権元のgoo広報より許可をいただいております。)

●さらに千代田区観光協会公式サイトのホームページにも半蔵門にあった「日本中学校」のことが地図と一緒に出ておりますので、こちらもぜひご覧ください。入り方は「千代田区観光協会」http://www.kanko-chiyoda.jp/ の右側の下にあるリンク先「半蔵門通信・麹町の歴史」をクリックし「バックナンバー35回・・・・麹町1丁目その3」をクリックすると見られます。

●なお戦後まもない昭和22年の同じ場所を航空写真で見てみると、近辺はB29の空襲でやられており新宿の淀橋、世田谷の松原へと移転せずにそこに留まっておれば「日本中学校」はどうなっていたであろうか。時代の流れに沿って移転していったことによって今の日本学園があると思うと感慨深いものを感ぜずにはいられません。 

 
明治40年当時の半蔵門界隈の地図。日本中学校があります。
クレジット:「goo地図」

現在のエフエム東京のビル。TFMとあるビルです。
ここに半蔵門時代の日本中学校がありました。
(三宅坂方向から半蔵門方向に向けて、内堀通りからのショット) 

広報部会 S44卒 中村

2011年7月15日金曜日

倶進Vol.6

 梅窓会と私

S41年卒 清水 正敏

梅窓会に参加するようになったのは1989年(平成元年)。早くも22年が過ぎた。日本はバブル時代、中国はあの「天安門事件」があった年だ。中国の青島(チンタオ)出向勤務2年を終えて帰国した年のことで、よく覚えている。梅窓会活動22年を上回る先輩方は何人もいらっしゃらないと思う。この22年の歳月は瞬く間で、知らない間に還暦を迎えていた。

月一回の梅窓会運営委員会、毎年の総会、卒業式や学園祭等、ずっと足を運んでいる。5年前からは日本学園の理事を仰せつかった。この22年間は40代から50代だったから仕事も多忙を極め、梅窓会活動にまっしぐらという訳にはいかなかった。無理をしない範囲で参加していたから続けられたのだと思っている。

よく「なぜ梅窓会活動を長期間続けているのか」と聞かれるが、私にとって同窓会活動は、何もこの梅窓会ばかりではない。5年前からは渋谷小学校、4年前からは渋谷区立松涛中学校、14年前からは中央大学の同期会幹事を、38年前からは中央大学法学部ゼミの幹事を務めている。要するに還暦を過ぎて気が付いたら、小中高大の同期会の幹事になっていた、ということだ。自分から手を上げてやろうと思ったわけではなく、成り行きでそうなった。梅窓会の場合は、昭和41年卒の同期会のバックアップがあったから、梅窓会活動がやり易いこともあった。また、私の性格は人と話をするのが好き(=人間が好き)で、これが同期会幹事をさせているのかもしれない。

この性格はどこから来たのだろうか。私は母方の祖父や母のDNAが大きく影響していると考えている。祖父は長年、町会長を務め、祖父の周りに人がよく集まって来たのを思い出す。また、母は48歳から75歳まで27年間、地元で民生委員を務め、地元に貢献した。このDNAなのである。この他に昭和30年に今の渋谷の家に引っ越して来てから、ずっとここに住んでいることも小中高大の同期会幹事として適任なのかもしれない。さらに今振り返ると、毎年の年賀状は同期仲間との絆作りに有効であった。毎年届く日本学園関係者からの年賀状は約70枚、この内30枚は同期仲間からの年賀状であり、これが卒業してから40年以上も続いているのである。

しかも年賀葉書は1枚50円、安いものだ。年賀状のやりとりをしていると仲間意識が続いて、同期会をやる時に声をかけやすい。我々の時代はケータイの時代ではなかったので、この年賀状のやりとりの費用対効果は抜群だ。年賀状は印刷してもらうが、日本学園に関すること、例えば全校生徒は○○○○名になったとか、恩師のこと等を手書きで書いて出すことにしている。これを受け取った同期仲間は「清水は日本学園でいろいろな活動をしているな」と感じているはずだ。この3、4年の年賀状には「愛校救園、振興日学」を書いている。日本学園が甦ってもらいたいという自分への強い意志表示である。

今后の事であるが、今まで通り梅窓会、理事会や同期会を通じて日本学園に係わっていくつもりだ。小中高大の同期会幹事の活動は自分の体内リズムとなって、今は体力気力ともOK、渋谷の自宅から日本学園まで30分で行き易く、もうしばらくすれば仕事も一段落する。あと20年はこのままで、と思っている。

当面の“野望”は2つある。ひとつは人材発掘である。当校は伝統校なので人材は各分野に存在する。見つけ出し、学校と梅窓会に協力してもらうことだ。この2、3年で何人かを梅窓会に取り込み、梅窓会の活性化につながった。これをやらないと梅窓会が先細りとなることは必至だ。もうひとつは、平成28年3月の高校卒業式に昭和41年卒の我が同期100名を参加させること。平成28年は我が同期卒業50周年となり、学校から卒業式へ招待されるのである。今年から同期仲間への呼びかけを強化し、何回か同期会を開いて盛り上げていきたい。毎年3月、卒業式に招待される期の中で、今までで最多・最大・最強を狙い、今世紀中は破られない記録にしたい。

S41年卒の同期と総会・懇親会にて。右から二番目が私です! 

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2011年7月14日木曜日

7月度 運営委員会報告

7/9(土)13:00~木造棟会議室にて運営委員会が開催されました。当日は[梅窓会総会・懇親会」の総括・日学祭への協力等を中心に活発な審議が展開されました。

7月度運営委員会TOPIX

■各部会報告
総務・組織・企画・広報より活動報告。

■6/25「総会・懇親会」総括
昨年を上回る80名の参加を得て、大いに盛り上がった6/25「梅窓会総会・懇親会」の総括が行われました。バスケ部激励会や38年卒バンドによるライブ演奏など、今まで以上に盛りだくさんの企画とスムーズな会進行に、参加OBから絶賛の声を多数いただきました。運営委員会では今回の成功を糧に、さらなる親睦の輪を広げるべく協議・企画立案を重ねて参ります。

■日学祭への協力企画を検討
10/1(土)2(日)開催の日学祭への協力企画の検討が行われました。梅窓会では本年度も毎年大人気の「竹馬・ベーゴマコーナー」を設置を予定。 さらに学園資料室公開サポート、同資料室における学園・梅窓会ミニ写真展の開催を計画しています。ぜひご来校ください!

■その他
*柔道部インターハイ・国体参加について経過報告
*小川理事より理事報告

★次回運営委員会
8月は夏季休暇となり運営委員会の開催はありません。次回は9/10(土)の開催となります。酷暑が続きます。健康管理を万全に素敵な夏をお過ごしください!


梅窓会 広報部会

2011年7月13日水曜日

硬式野球部夏季大会 応援 レポート

既報の通り、野球部の夏季大会は残念な結果に終わり、応援レポートを書く筆も重く感じますが、諸事情で観戦できなかったOB諸兄のために応援レポートいたします。

関東地方も9日に梅雨が明け、朝から猛烈な日差しと暑さで、これぞ夏の高校野球日和といえる日だったのではないでしょうか。さて会場の江戸川球場は東西線の西葛西駅から徒歩5分ほど。改札口を出ると応援に駆けつけた高校生や父兄、OBたちが、かたまって会場の江戸川球場に向かっており、彼らと歩いているとすでに心は完全に応援モードに突入、おおよそ5分ほどで球場に到着しました。
梅窓会メンバーも応援に参加
野球場内に入ってみると我が日本学園は対戦相手校である昨年ベスト4の強豪、成立学園を遥かに上まわる決勝戦を思わせるほどの大応援団で、すでに1塁側スタンドはかなり埋まっている盛況ぶりでした。見渡せば野球部員以外にも、サッカー部、バスケットボール部、バレー部、吹奏楽部などが最前列に陣取り、応援の準備も万端で、透き通るような梅雨明けの青空の下、12時30分に日本学園が先攻で夏の大会が始まりました。


両校とも3回までは相手の様子を見るかのように零点、均衡は4回の攻撃から破られていった。日本学園は2アウト、1塁、3塁にランナー出し先制点を取る絶好のチャンスを迎えるが、ライトフライで3アウト、逆にその裏に1点を入れられ相手に先制点を許してしまう。しかし5回にチャンスが訪れ、ノーアウト満塁の好機を迎え、2ベースヒットで2点、その後さらに1点を追加し、一挙に3人をホームベースに迎い入れ3:1と逆転、応援席は歓喜の渦、渦、渦であった。


5回怒濤の大逆転劇、いくぞ日学!ノーカットでお送りします。
(撮影ブレなどお見苦しい点がありますが、なにとぞご了承くださいませ。)

しかし5回裏ライトに長打を放たれ1点を入れられ3:2。6回裏に日本学園セカンドの選手が熱中症と思われる足の痙攣で退場し、選手交代で試合続行するが、3点を取られ3:5と逆転される。なんとか流れを変えたい日本学園は相手投手の疲れを突いて2点を入れ5:5の同点。「やった!いいぞ!凄い!凄い!」と応援席は、またも歓喜の渦、渦、渦であった。なおも1塁、2塁に逆転ランナーを置くが、ここで相手側は投手交代、この好機が生かせず5:5のまま7回裏を迎える。


再度追いつく。粘りの日学!

日本学園も投手交代を行うが2点を奪われ5:7と逆転される。8回は両校とも0点に終わり、最終の9回を向かえる。日本学園は粘りに粘って1点を返し、再度逆転を試みたが結果は6:7の惜敗で熱い夏の日は終わりました。


試合を通じて感じたことは、負けはしたもののこんなに多くの野球部以外の運動部員達が自分達の練習があるにもかかわらず応援に来てくれたのは、これこそ日本学園の宝であると思いました。部員達は精一杯の声援を送り日本学園運動部の一体感を自ら改めて体感したのではないでしょうか。そして毎年来てくれる吹奏楽部も日本学園の宝であります。ピンチの時でもチャンスの時でも試合を盛り上げてくれるのは彼らがいてくれるからでしょう。

「いざや学ばむ諸共に・・・」日本学園校歌を吹奏楽部の演奏で運動部員、先生、父兄、OBが一体となって一緒に歌うのを見ていると日本学園は宝のいっぱいある素晴らしい学園だと感じた次第です。

野球部の選手諸君、強豪相手に良くがんばりました。いい思い出をありがとう。梅窓会会員の皆様、野球部への変わらぬ力強い応援をこれからもよろしくお願いいたします。

広報部会 S44卒 中村(文)
広報部会 S56卒 安齋(画像)

2011年7月11日月曜日

速報・硬式野球部夏季大会試合結果


夏季大会2回戦

日本学園6-7成立学園

本日江戸川球場にて、成立学園との試合が行われました。
試合は強豪相手に一進一退の攻防が続き大変な熱戦となりました。



結果は惜敗となりましたが、懸命にボールを追った選手たちに、満杯となったスタンドの大応援団から労いの拍手が送られました。
皆さんおつかれさまでした。
広報部会では後日、熱戦の模様を詳細編でお伝えする予定です。

梅窓会 広報部会

2011年7月10日日曜日

ゆくぞ日校!燃えろにちがく!

硬式野球部初戦はいよいよ明日となりました。
強豪との対戦になりますが、日校健児の力を発揮して、勝利を掴もう!!
OBのみなさま、明日はぜひ日学応援席へ!
スタンド一体となって母校球児を応援しよう!

 

対戦校 成立学園
試合会場 江戸川球場(東西線西葛西駅下車徒歩3分)
開始時間 12:30
(第一試合の状況により開始時間が変更となる場合がございます。)


梅窓会 広報部会

2011年7月8日金曜日

スペシャルサイト「我ら日校健児」第4回-前編・配信!

激動の時代を乗り越えてきた日本学園OBの自伝・インタビューを掲載するスペシャルサイト「我ら日校健児」第4回を配信いたします。物語の舞台は終戦直後の長野県岡谷市へ。大東亜戦争の渦中を生き抜いた堤青年の再起と新しい前進が始まります。「我ら日校健児」では、今回もこの貴重で膨大な証言を第4回前編・後編の2回に分けて配信。科学立国・新生日本を目指し、早稲田大学への進学を決意する堤氏の軌跡を描きます。

梅窓会 広報部会


「梅窓会・総会2011」で監事として出席者の質問に応える堤氏
 
「復員:岡谷‐それは交響曲の故郷」

堤 健二(昭和19年 日本中学校卒)

第3集では予科練入隊より終戦に至る将に大東亜戦争さなかに於ける、私の海軍時代のお話をしました。私にとっては敢えて3年の学舎生活を後にしての出発でした。それは米・英・豪・蘭との決戦が将に制空権を賭した戦いとなり、この国の命運を左右する場となるのであれば、今こそ我が全身・全霊はそこに賭けるべきと断じたからです。そして、4年に亘る海軍パイロットとしての生活は、結局国内基地隊での偵察と教育任務で終了し、一方同期の桜は次々と前線に出撃、結果は何と全滅に近い彼等の喪失と国土の壊滅と言う惨憺たる結末の内に幕が引かれてしまいました。国敗れて山河あり。しかし私は生き残ったのです。米軍占領下での、国そして私達の再起は如何なものだったのでしょうか。それはA級戦犯,BC級戦犯のリスト並びに処刑の報道も巷に流され始めた頃で、戦争責任はどう償うことになるのか、国、国民共に如何に立ち直るべきか、恐らく誰にも先が読めない闇の時代だったのです。

今回は復員から父母のもと、岡谷・今井の郷での身心の再起、それは田園交響詩のひかりと生気に溢れたなから始まります。その大地の温もり、厳しい乍らも深い愛情に恵まれた天地、そこに生きる幸運な第一歩があればこそ次の新たな飛躍へと結果は繋がって行ったと確信されます。“迷える羊は自然に還れ”です。自然に還る生活は、雪の中での炭焼きに始まり、一鍬一鍬と野をきり開き、雨、風、雷にうたれては己が生命力を日々新たに感じとり、自然と本来一体であるべき自己再発見の旅であったのです。それは書による反省、書による確信、行動への自信となり、さながら田園交響詩に包まれ乍ら新生への第一歩を印したというスタートでした。

目標は、この荒廃しきった国を興すのは、先ず最先端の科学立国を目指すことにあり、さればこそ、私自身も今はその一端を担う学究の途を選ぶべしと大学受験への一歩を踏み出すこととなったのです。以下終戦より岡谷の生活を経て、早稲田大学高等学院理科進学までの経緯が今回の報告です。中学から海軍時代そして田園交響詩の故里・岡谷での生活と、私なりに一貫して錬磨を重ねたこの鋼の身心と知力を以て、また新たな挑戦がいま始まったのです。もう迷うことは何もない一歩でした。以上

スペシャルサイト「我ら日校健児」はこちら!

2011年7月6日水曜日

我流展景-日校Photoスケッチ番外編(懇親会)

「総会・懇親会2011」スペシャルで掲載できなかったスナップを
しつこくご紹介いたします。いやぁ~盛り上がりました!

スナップA-榎本理事長を挟んで・・・ 

スナップB-総合司会の安藤先輩、今年もおつかれさまでした。 

スナップC-名奏者・野田先輩のベストショット? 

スナップD-パワー漲るS34年卒が勢ぞろい! 

スナップE-こんな写真コーナーもありました・・・ 

広報部会 S56卒 永澤

2011年7月3日日曜日

速報。日本学園柔道部。東京都ジュニア柔道体重別選手権大会でも大活躍!!       

20歳未満の有力選手で構成され、高校・大学・社会人の区別なく出場でき、将来オリンピック選手となりうる有望選手発掘の大会の1つになっています平成23年度東京都ジュニア柔道体重別選手権大会(兼JOCジュニアオリンピックカップ平成23年度全日本ジュニア柔道体重別選手権大会東京都予選会)が7月3日(土)、猛暑の中、足立区綾瀬の東京武道館にて開催されました。この大会は日本学園柔道部から6名の選手が出場、全員がハイレベルな大学生、高校生との間で激しい試合を繰り広げ、以下2名の選手が準優勝に輝きました。両階級とも入賞者5名の内、4名が大学生で、高校生は日本学園のみという快挙です。梅窓会会員の皆様、日本学園柔道部への力強い応援これからもよろしくお願いいたします。 

男子はこの2つの階級(階級は55kg級~100Kg超級まで全部で8階級あります。)では上位5名が東京都代表選手として、9月に開催される全日本ジュニア柔道体重別選手権大会に出場できます。

【男子の部】敬称略
●73kg級入賞者
優勝=井上(東海大)
準優勝=星 光(日本学園高校)
3位=三浦(国士舘大)、肥後(駒沢大)
5位=田中(東洋大)                          

●81kg級入賞者
優勝=渡邉(東海大)
準優勝=上田 達彦(日本学園高校)
3位=後藤(国士舘大)、國分(國學院大)
5位=豊田(日体大)


広報部会 S44卒 中村

2011年7月2日土曜日

硬式野球部、夏季大会へ出陣!!

いよいよ待ちに待った高校野球の季節がやってまいりました。

先月18日に夏季大会抽選会が行われ、対戦校、試合会場が決定。 創部100周年を迎えた母校野球部も連日の猛練習で気合十分、間近に迫った“熱き夏”へ戦いを挑みます。 梅窓会では選手たちに思いを重ね、今年も力一杯応援したいと思います。 会員のみなさまぜひ当日は江戸川球場へ!スタンドを日学で埋めて、大声援を送ろう!

     
対戦校 成立学園高校
試合日時 7月11日(月) 12:30~
試合会場 江戸川球場 (東西線西葛西駅より徒歩3分)

* 天候等により、スケジュール変更となる場合がございます。
詳細は、野球部HPをご確認ください。

梅窓会 広報部会