2013年1月21日月曜日

日本學園・資料室だよりVol.1

日本学園には校祖・杉浦重剛先生と本学ならびに歴代OBに関する重宝・資料・芸術作品等を収蔵する「日本學園・資料室(一号館2階)」があります。同資料室では、OB(梅窓会正会員)有志を中心とする「資料室委員會」に所属する資料室委員が保存・管理・研究調査・展示を推進しています。梅窓会ブログでは、資料室委員の協力の下、同資料室に収蔵されている貴重な品を不定期に紹介して参ります。

【日本學園・重宝】
<旧制・日本中學校・門標>

 揮毫:猪狩又造・第3代校長 

この門票は本学の淀橋校舎~現在の松原校舎門柱に掲げられていたものである。正確な制作年月日等は調査中であるが、淀橋移転(大正5年・1916年)後に制作されたと思われる。当時、母校は半蔵門校舎の通学アクセスの悪さや政府主導による「私立学校撲滅問題」により、生徒数が激減し、存亡の危機に直面していた。他校と連携した請願活動により「私立学校撲滅問題」を先頭に立って解決した校祖・杉浦校長は、学園関係者が一丸となって募集に奔走した援助資金により、心機一転、淀橋(現在の西新宿)への移転を決意したと伝わる。

昭和16年夏・現在の松原校舎の門柱に掛けられていた門標。 

淀橋校舎は財政難により、学習院の建物を取り壊した材料で建設された。同用材は校祖・杉浦校長の尽力で本学に払い下げられ、寄付されたものである。その事実を示すかのように、この門票の裏側にはホゾと思わしき溝が等間隔に3本彫られており、学習院の建築物を構成していた一部である可能性も否めない。材木は杉と思われ、水分を含むといまだに杉材の芳香を覚える。書は猪狩又造・第3代校長の揮毫を彫り、漆塗りを施している。猪狩校長は日中戦争から太平洋戦争へ続く戦乱の時代に校長職を全うし、本学の発展に尽くした人格者である。

 いまや登録有形文化財として国の重宝となった一号館と共に
風雪に耐えてきた旧制・日本中學校・門標。 

梅窓会 広報部会
日本學園 資料室委員會

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