2015年1月31日土曜日

昭和初期、明大前駅の駅名は影も形も無かった。

●日本学園は昭和11年(1936年)1018日から新宿淀橋から現在の松原の新校舎に勉学の地を移し現在に至っていますが、OBの皆さんが3年間あるいは6年間お世話になった明大前駅は昭和初期発行の東京世田谷松原地域の古い地図を見てみますと明大前駅は、まだ影も形もありません。●上の地図(新大東京全図 昭和7年 文彰堂編集部発行)ではまだ井の頭線も開通しておらず、京王線(旧京王電気軌道)は代田橋駅の次は「松原駅」という駅が今の明大前駅より少し西側に存在し、次の駅が下高井戸駅となっております。さらに下の地図(大東京市区分地図 昭和9年 雄文館発行)は井の頭線がやっと開通しましたが、明大前駅はなく現在の明大前駅よりやや北側に「西松原駅」が出来ております。すでに東松原駅がありましたので西松原駅という駅名にしたものと思われます。その後昭和10年(1935年)にこの松原駅と西松原駅を合体させ明大前駅としたようです。なお女体専校の文字が確認できますがこれは現在の二階堂高校であることがわかります。そして明大前駅が出来て1年後の昭和11年に日本学園は新宿淀橋から現在の松原の地に移ってきたことになります。
●資料によりますと、明大前駅は大正2年(1913年)京王電気軌道の火薬庫前駅として開業。大正6年(1917年)松原駅に改称し、昭和10年(1935年)に明大前駅に改称、現在に至っています。

長い伝統を誇る日本学園が創立130年を迎える年にあたり、OBの皆さんが通学でお世話になった明大前駅の歴史について紹介をさせていただきました。(画像をクリックすると地図は拡大できます)
 
広報部会 44年卒 中村 隆

                                         
 
                             
 
 
 
 

 
 

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