2016年6月8日水曜日

「私の武蔵野歩き」文学者の碑

先日、静岡県の冨士霊園に行って「文学者の碑」に参拝した折、白石実三という人が「武蔵野から大東京へ」という本を書いていることを知り、図書館から借りて拾い読みしました。(昭和29年3月31日発行 再建社刊)下記はその一部の抜書きです(字形など少々変えたり、飛ばした所もあります。)
淀橋校舎時代の日本学園(旧制日本中学)の周辺のことも書かれており我々OBとしては大変興味深いです。
★写真1の碑の左には新潮社 岩波書店があります。共に日本学園のOBです。
 写真2枚目をご覧下さい。碑には文学者名・代表的著作・没年月日が刻まれています。(深田久弥「日本百名山」も見えます)

 39頁:秩父、麻布、登戸、利根、筑波、富士、山梨 実にみんなアイヌ語なのだ。いな日本の地名の80%までアイヌ語だという人もある。今の田園調布は彼らの市場だったらしい。そこに山梨や信州に住むアイヌが来て物々交換をする市場マーケットだったのだ。・・
「ムサウシイ」といった。「ムサウシイ」というアイヌ語は「旅人をていねいに取り扱う場所」という意味で・・  

 253頁:(新宿の)停車場の西方一帯はその後十年間も一面の田んぼだったのである。浄水場前から、専売局、日本中学のあたりへかけては昼もうすぐらい陰気なやぶで麦畑も多く、青海街道の出口には、その頃名高い大きな踏切があった。

昭和28年卒 米田利
 
(画像上にマウスを置き左クリックすると、画像は拡大してご覧いただけます)
 
 
日本文藝家協会が建立した文学者の碑
(左には新潮社と岩波書店もあります。新潮社の二代目社長は佐藤義夫。
 岩波書店の創立者は岩波茂雄です。共に日本学園のOBです)
 

文学者名・代表的著作・没年月日が刻まれています。

昭和初期の新宿淀橋周辺地図。
中央には日本中学、右上には専売局淀橋工場がある。
(マウスを置き左クリックすると、画像は拡大してご覧いただけます)
 

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